読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

地獄は和風なのに天国は洋風なのは何故か


ちょうど6年前の今日にこんなツイートをしてて、で、さっきたまたま天野祐吉「私説 広告五千年史」(http://www.amazon.co.jp/dp/4106035316)という本を読んでいた。
で、そこで気になった点があったので引用する。

もちろん、「地獄」は仏教の専有物じゃない、キリスト教にも「天国と地獄」があります。が、民俗学者五来重さんは、『日本人の地獄と極楽』(人文書院)で、こう言っています。
キリスト教では天国こそが現実性をもった理想の世界で、地獄は天国へ行けない罪人への戒めとしての存在である。これに対して日本人にとっては、地獄こそ現実性をもった恐るべき世界で、そこへ堕ちないための救済として極楽がある」
つまり五来さんによれば、キリスト教では「天国が実像で地獄は影」なのに、日本では「地獄が実像で極楽が影」になっている。まさにその通りだとぼくも思いますが、一般的にキリスト教圏の人たちが「天国へ行きたい」という攻めの体質を持っているのにくらべて、この国には「地獄へは行きたくない」という守り型の人間が多いのかも知れません。子どもの野球も、アメリカではバッティングからはじまるのに、日本ではキャッチボールからはじまる、それとちょっと似ていますね。


つまり、西洋では天国が直感的で日本では地獄が直感的で、だったら現代の日本人からしたら西洋風の天国のイメージと日本風の地獄のイメージの組み合わせがもっとも直感的だということだろうか。というか、極楽って確かに直感的じゃないというか、なんか無理矢理作ったような概念っていうか、あんまり頭に入ってこない。
ちなみにこの本では、仏教が「地獄に堕ちるぞ~。地獄は怖いところだぞ~」と言って布教するのをFUDのような広告手法だと言ってる。FUDについてはWikipediaを。
FUD - Wikipedia