「明日ママがいない」の問題は16年前にナンシー関が指摘していた。

文庫本で昔のナンシー関のコラムを読んでいたら、野島伸司脚本の「聖者の行進」について書かれていた。その内容が、あまりにも「明日ママがいない」の問題と合致するので引用してみた。言うまでもなく、「明日ママがいない」も野島伸司作品。

終りよければ全てよし、なんて事を言ったりするが、すごかったっすねえ「聖者の行進」最終回。文春も3週も4週もかけてキャンペーンやって「最後まで見てから反論してください」なんてTBSのコメントのせちゃって、最終回視聴率上乗せにささやかながら貢献した訳であるが、もう「とほほ」だろう。あんなもんのために何ページも使ってたかと思うと。しかし勇気あるなあ、野島伸司って。あんなオチ、ちゃんと字に書いてプロデューサーとかに「はい出来た」とか言って見せたわけだ。私は出来ないな。恥かしくて。全国に放送されちゃうんだよ。
(中略)
「聖者の行進」というドラマにとって、"障害者"をテーマにしたということは最も重要なことに違いない。バッシングのキャンペーンを展開した「週刊文春」も、逆に好意的に見ていたファンにとっても、"テーマが障害者"というポイントは、どっちにしろその動機となっている最大の要素だ。だから、賛否両論も「社会における障害者問題という点で『聖者の行進』はどのような影響を引き起こすか」というようなところで交されてきたのである。しかし、このドラマそれほどのものか。あの最終回のオチは、ドラマのテーマが何であれ、主人公がどんな人物設定であれ、純粋に「話(ストーリー)」としてのレベルが低すぎる。
(中略)
しかし「最後まで見てから文句言え」というTBSのコメントは、今となっては見事なリアクションといえる。最終回見たら、もう誰もマジメに抗議なんかしないもんなあ。うやむやという最良の方向へ見事に着地できたわけである。まさに、終わりよければ全てよし。


この文章、「聖者の行進」を「明日ママがいない」に、「障害者」を「養護施設」に、「TBS」を「日本テレビ」に置き換えると、まんま「明日ママがいない」についての文章になる。

ちなみに文中で書かれているが、当時週刊文春では聖者の行進に対するネガティブキャンペーンをやっていたようだ。僕もたしか、親が買っていた文春を読んで拝見した気がする。

あとこれは全く関係ない話だけど、「明日ママがいない」はスポンサーが全部降りてしまったわけだけど、実は文藝春秋社も95年に同じ目にあっている。文藝春秋から出ていたマルコポーロという月刊誌があったのだが、この雑誌が「ナチスのガス室はなかった」というデマ記事を載せたらユダヤの団体から文藝春秋の広告主に圧力が来てマルコポーロが廃刊になった。これまたこの雑誌を僕の親が買っていて僕も読んでいた。たしかヘアヌードが結構載っている雑誌だったのでドキドキしたのを覚えている。
マルコポーロ事件 - Wikipedia


テレビ消灯時間〈2〉 (文春文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4167622033/