お母さんがポリゴン化されたら

君達のお母さんは当然柔らかいものだと思うが、もしある日突然お母さんがポリゴン化されたらどうだろう。テクスチャーで誤魔化すというのは無しだ。文房具屋でスクリーントーンの隣に置いてあるテクスチャーを買ってきて、お母さんの全身に貼ろうとするだろう。そういうズルは無しだ。またもしポリゴン数が多かった場合、いちいちテクスチャーを細かく切って貼り付けるのも大変な作業になる。逆にもしポリゴン数が少なかった場合、いくらテクスチャーを貼って誤魔化したところで、至近距離でカクカクになったお母さんを見るのは辛いだろう。
なので、最初からテクスチャーを貼らなければいい。
ポジティブに考えよう。ポリゴンに成り果てたとはいえ、お母さんはお母さんだ。むしろポリゴン化されたから自我が芽生えるという逆説的な発想も必要になる。バーチャファイター1を見てみよう。カクカクのポリゴンだからこそ、むしろ哲学的な顔をしている。

お母さんにとっての自我、存在意義とは何か。もちろん、哺乳類的な意味での母親であること、つまり乳首の存在だ。お母さんの全てのポリゴン面から乳首が生えてくるだろう。ということは、乳首の数だけの子供を育てられるということになる。子沢山だ。
もちろん乳首が生えてくるはずがない。理由なく乳首が生えてくるはずがない。なのでテクスチャーを貼ることになる。先ほど文房具屋で買ってきた乳首のテクスチャーを、ポリゴンの全ての面に貼る。それこそテクスチャーで誤魔化しているに過ぎないということになるが、人間の認識上乳首が存在すればいいのだ。世界は表層で出来ている。主観によって成り立っている。自分の住む世界に影響を与えたかったら、むしろ表層から着手すべきだ。認識は最終的に対象に影響を与える。まず、自分がその乳首を本物の乳首だと認識するところから始まる。そうすると、周りの人間も同じように本物の乳首だと認識する。この段階では、まだ本物の乳首ではない。
分かりにくい理屈だから、馴染みやすい例でたとえることにする。小保方さんは普通の女の子だった。しかしマスコミが、ネットが、彼女を悪に仕立てあげた。STAP細胞が無かったということ自体は僕も認めるが、しかし彼女の動機は明らかになっていないし、そもそも実験結果を捏造した証拠もない。あるのは、状況証拠だけ。状況証拠だけで彼女は悪人に仕立て上げられた。そして、最終的に彼女は本当の悪人になった。メディアによって映し出される自分の像に洗脳されてしまったのだ。

同じように、僕らもポリゴン化されたお母さんを洗脳しよう。この乳首は本物だと。
いや、そもそもこのテクスチャーがSTAP細胞で作られていたなら、本物の乳首足り得るはずだ。そのためには、まず我々が小保方さんを信じるところから始めないといけない。小保方さんは善人で、STAP細胞も存在したと。
「小保方さんはいい奴、STAP細胞もあった」 そう念じながら僕はお母さんの乳首を吸った。そうすると、ミルクの味がした。そんなことが実際に起きるのかと思い、試しに小保方さんの乳首も吸ってみた。苦い。コーヒーの味だ。小保方さんは悪のままだった。いや、よく見たらこれは乳首じゃなくてコーヒー豆だ。

「だーまさーれた。うふふっ」 小保方さんはそう僕に微笑んだ。
「つこてる豆が違う!」 僕は往年のネスカフェのCMの台詞を借りてボケてみせた。明石家さんまのCMだ。
明石家さんま?ふと急に胸騒ぎがして鏡を見た。出っ歯だ。そうか、僕は明石家さんまだった。だから小保方さんの乳首を食いちぎってしまって、それを隠すために彼女はコーヒー豆を使ったのか。申し訳ない気分でいっぱいだ。
お詫びと言ってはなんだが、今夏の27時間テレビのラブメイトに入れといてやろう。